EXPO-SURVIBIA─千里・万博・多摩─

「EXPO-SURVIBIA─千里・万博・多摩─」

名称:EXPO-SURVIBIA─千里・万博・多摩─
参加作家:秋山佑太、石井友人、キュンチョメ、中島晴矢、FABULOUZ、原田裕規
ハンドアウト(PDF)

イギリスの「田園都市構想」(エベネザー・ハワード)やアメリカの「近隣住区論」(クラレンス・A・ペリー)を下敷きとしながらも、日本社会固有の文脈によって受容され、独自の進化を遂げた日本的ニュータウン。
際限なくスプロール化する「郊外」におけるその端緒は、1962年から入居が開始され、1970年の大阪万博と共に開発された歴史を持つ「千里ニュータウン」であった。何より1970年とは、日本の近代化がひとまずの達成を遂げ、同時に消費社会化を迎える「おわりのはじまり」ではなかったか。とすれば、現代の社会状況まで地続きの1970年というメルクマールに立ち帰ることは、過去・現在・未来の日本社会を串刺しにしてかんがえる上で、「太陽の塔」(岡本太郎)さながらに、無視できない象徴性を帯びていると言えよう。
本展は、千里丘陵に建てられた「千里ニュータウン」、そこに隣接して開催された祝祭「大阪万博」、そして展示会場でもある東京郊外の「多摩ニュータウン」を繋いだときに浮かび上がる都市空間を求め、彷徨う営みである。

名称:EXPO-SURVIBIA─千里・万博・多摩─
参加作家:秋山佑太、石井友人、キュンチョメ、中島晴矢、FABULOUZ、原田裕規
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イギリスの「田園都市構想」(エベネザー・ハワード)やアメリカの「近隣住区論」(クラレンス・A・ペリー)を下敷きとしながらも、日本社会固有の文脈によって受容され、独自の進化を遂げた日本的ニュータウン。
際限なくスプロール化する「郊外」におけるその端緒は、1962年から入居が開始され、1970年の大阪万博と共に開発された歴史を持つ「千里ニュータウン」であった。何より1970年とは、日本の近代化がひとまずの達成を遂げ、同時に消費社会化を迎える「おわりのはじまり」ではなかったか。とすれば、現代の社会状況まで地続きの1970年というメルクマールに立ち帰ることは、過去・現在・未来の日本社会を串刺しにしてかんがえる上で、「太陽の塔」(岡本太郎)さながらに、無視できない象徴性を帯びていると言えよう。
本展は、千里丘陵に建てられた「千里ニュータウン」、そこに隣接して開催された祝祭「大阪万博」、そして展示会場でもある東京郊外の「多摩ニュータウン」を繋いだときに浮かび上がる都市空間を求め、彷徨う営みである。