《胎蔵界盆暗曼陀羅》

《胎蔵界盆暗曼陀羅》

胎蔵界盆暗曼陀羅
2010|パネル、アクリル絵具|840 × 1190 mm × 6

この作品は、曼陀羅の構図に忠実に描いた。なぜなら、実際に京都の東寺に赴き、多くの曼陀羅や立体曼陀羅を見て、そのスケールに圧倒されたからだ。近代以降のモダンアートにおいて、個人の作家性を「表現」した作品群が小さく見えてしまうほど、無私の精神で仏に捧げられたその「宗教画」は、超越的なアウラを宿していた。
そもそも曼陀羅とは、密教における真理や悟りの境地を視覚的に表現したものである。言葉(ロゴス)こそ神であるとするキリスト教と異なり、言 葉で表現できない領域を体験の次元で表しているのだ。日本へは 800 年代初頭に、空海によってもたらされた。特に日本の曼陀羅には二種類のものがある。「胎蔵界曼荼羅」と、「金剛界曼荼羅」である。両者をあわせて「両界曼荼羅」と言い、前者は女性性、後者は男性性の象徴だ。 私は殊に、大日如来を中心として子宮的世界観で構成された胎蔵界曼荼羅に惹かれた。その構図を引き継ぎつつ、様々な私にとっての仏たちを書き入れていったのだった。
ここで試みたのは、古典主義的宗教絵画の完成された崇高さと、ロマン主義的モダンアートの私的な矮小さの同一平面上での同居だった。曼陀羅に対し畏敬の念を覚える一方で、やはりどうしても自身の「梵暗(ボンクラ)」な趣味性からは抜け出せない、という両義的な感情を、そのまま形にした。「空」という何者にも縛られない超越的な立場に憧れを抱きつつも、自意識と俗情に満ち充ちた自分自身を引きずって生きている。 この現世的な苦悩を表したかった。 よって、胎蔵界曼荼羅の構造の中に、女性や性器といった性的なモティーフを、原色でけばけばしく描いた。

胎蔵界盆暗曼陀羅
2010|パネル、アクリル絵具|840 × 1190 mm × 6

この作品は、曼陀羅の構図に忠実に描いた。なぜなら、実際に京都の東寺に赴き、多くの曼陀羅や立体曼陀羅を見て、そのスケールに圧倒されたからだ。近代以降のモダンアートにおいて、個人の作家性を「表現」した作品群が小さく見えてしまうほど、無私の精神で仏に捧げられたその「宗教画」は、超越的なアウラを宿していた。
そもそも曼陀羅とは、密教における真理や悟りの境地を視覚的に表現したものである。言葉(ロゴス)こそ神であるとするキリスト教と異なり、言 葉で表現できない領域を体験の次元で表しているのだ。日本へは 800 年代初頭に、空海によってもたらされた。特に日本の曼陀羅には二種類のものがある。「胎蔵界曼荼羅」と、「金剛界曼荼羅」である。両者をあわせて「両界曼荼羅」と言い、前者は女性性、後者は男性性の象徴だ。 私は殊に、大日如来を中心として子宮的世界観で構成された胎蔵界曼荼羅に惹かれた。その構図を引き継ぎつつ、様々な私にとっての仏たちを書き入れていったのだった。
ここで試みたのは、古典主義的宗教絵画の完成された崇高さと、ロマン主義的モダンアートの私的な矮小さの同一平面上での同居だった。曼陀羅に対し畏敬の念を覚える一方で、やはりどうしても自身の「梵暗(ボンクラ)」な趣味性からは抜け出せない、という両義的な感情を、そのまま形にした。「空」という何者にも縛られない超越的な立場に憧れを抱きつつも、自意識と俗情に満ち充ちた自分自身を引きずって生きている。 この現世的な苦悩を表したかった。 よって、胎蔵界曼荼羅の構造の中に、女性や性器といった性的なモティーフを、原色でけばけばしく描いた。