名称:美学校「アートのレシピ」修了展「I Wanna Be Strong」
会場:美学校 本校
会期:2011年4月8日〜4月10日
ハンドアウト(PDF)
THE FAKE MONSTER
「諸君は武士だろう…諸君は武士だろう!」(三島由紀夫)
「I’m a free Bitch, baby !」(Lady GAGA)
2011年3月11日、都内のシェアハウスに泊まり込んでいた私は、昼過ぎまで貪っていた惰眠のまどろみから未だ抜け出せず、こたつに半身をもぐり込ませ、いつもの通り数人の仲間たちと共に、下らないヨタ話に浸りながら、弛緩した脳を揺蕩わせていた。そんな緩みきった日常の一コマは、しかし、突如として崩れ去った。網膜に映しだされる光景が、あたかもブレ・ボケ写真のように、震え、捻じれ、歪み出したのだ。只事ではないことを徐々に認識すると共に、誰からともなく叫声があがる。振動はかつてないほど大きく、長かった。ようやく各々が我を取り戻し、互いに指示し合いながら、窓やドアを開け、本棚や食器を支え出すと、いつの間にか、揺れは収まっていた。十数人が居住しているがゆえに、ドン・キホーテの店内のように、家電・食器・衣類・書物・画材・PCなどが乱雑かつ無秩序に堆積している家にもかかわらず、物が倒れたり食器が割れたりすることも、ケガ人もなかったのは、不幸中の幸いと言えるだろう。近所の人々は騒然として路上に飛び出し、上気した表情で口々に無事を確認し合っている。私は、一息に覚醒しつつも、依然、《悪い夢》を見ているかのような、現実感の欠如からくる眩暈に襲われながら、誰かが点けたパソコンのディスプレイを通して流れて来るTVのニュースで、「日本」が、非常事態に見舞われていることを、ぼんやりと理解した。後に「東日本大震災」と呼ばれる大災害を、私はこんな風に体験したのだった。……
日本は今揺れている。焦点は定まらない。たったひとつの中心は存在しない。
日の丸の「円」が、終わらない余震でブレにブレて、楕円みたく見えてくる。
花田清輝は、「楕円幻想」に於いて、「完全な図形」である「円」の「純粋」さや「独善性」を否定した上で、「転形期」に於いては、「楕円」が台頭すると語る。
依然として、楕円が楕円である限り、それは、醒めながら眠り、眠りながら醒め、泣きながら笑い、笑いながら泣き、信じながら疑い、疑いながら信じることを意味する。(中略)矛盾しているにも拘わらず調和している、楕円の複雑な調和のほうが、我々にとっては、いっそう、うつくしい筈ではなかろうか。
(花田清輝「楕円幻想―ヴィヨン」『復興期の精神』)
私は、この「転形期」に、生きながら死に、死にながら生き、平和の裡に暴力を、暴力の裡に平和を見出し、アメリカに日本を、日本にアメリカを感じ、そして、絶望の淵に希望を夢みる。無数の矛盾に引き裂かれながら、アンビバレントな「魂の分裂」を抱え、眼前の現実に窒息しそうになりながら。
もはや、大震災も、津波も、放射能汚染も、全てが「FAKE MONSTER」のように思え、しかし、いや、全て「REAL MONSTER」なのかもしれず、もしかすると今起きているのはほんとうの《悪い夢》、リアルな《BAD ROMANCE》なのかもしれなかった。近代以降のわれわれ日本人自体が、あるいは《自殺志願》者だったのだろうか——そんなことを考え、頭が判然としないまま、二つの焦点からなる「楕円」の日の丸の中を、とりあえず取り留めもなく、ふらふらと彷徨することしか、私にはできないのだった。
中島晴矢