《EED ─ Empty Emperor Donut ─》

《EED ─ Empty Emperor Donut ─》

EED ─ Empty Emperor Donut ─
2019|ミクストメディア|30 × 30 cm
地区:千代田区皇居

東京の中心は、ぽっかりと穴が空いている。まるでドーナツだ。
そこに位置するのは、言うまでもなく皇居である。大都市のど真ん中にあって、深い緑に覆われた、ほとんどの人が入れない場所。だが、それは決して無意味にないのではない。穴がなければドーナツはドーナツたり得ないように、ないということでありありとある。もしかすると、それが「象徴」ということなのだろうか。
こんどは、明治から令和まで、日本近代の時間軸を視覚的に考えてみる。ちょうど中心にくるのは、太平洋戦争だ。大きく穴の空いたグラウンド・ゼロ。終戦を告げたのは、1945年8月15日正午、ラジオから流れる昭和天皇の「玉音放送」だった。今聴き直すと、神から人へと転身するその刹那、虚無的な陥穽において発せられた〈言葉=玉音〉が、既に戦後の天皇像の原型にあたるような、「災禍」に寄り添い「建設」への意志を宣言する内容であったことに、改めて驚かされる。最近知ったのだが、その音声は生放送ではなく、終戦前日の8月14日に録音されたものなのだという。記録したメディアは、レコード盤だった。
東京は、皇居の周りをぐるぐると回るレコード(Donut)だ。お堀沿いの楽曲 / 走路(Track)の上を、皇居ランナーが周回している。このまま回り続けたら、いつか東京はバターになって溶けて消えてしまうかもしれない、『ちびくろサンボ』の3匹のトラのように。トラ・トラ・トラ。始まりの合図、終わりの合図。どこからか幽かに金槌の音が聞こえてくる。それは東京を砕く音だろうか、それとも造る音だろうか───?

いずれにしろ、普請の音は鳴り止まない。

堪へ難キヲ堪へ、トカトントン。
忍ビ難キヲ忍ビ、トカトントン。
総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ……トントントカトン、トカトントン。

EED ─ Empty Emperor Donut ─
2019|ミクストメディア|30 × 30 cm
地区:千代田区皇居

東京の中心は、ぽっかりと穴が空いている。まるでドーナツだ。
そこに位置するのは、言うまでもなく皇居である。大都市のど真ん中にあって、深い緑に覆われた、ほとんどの人が入れない場所。だが、それは決して無意味にないのではない。穴がなければドーナツはドーナツたり得ないように、ないということでありありとある。もしかすると、それが「象徴」ということなのだろうか。
こんどは、明治から令和まで、日本近代の時間軸を視覚的に考えてみる。ちょうど中心にくるのは、太平洋戦争だ。大きく穴の空いたグラウンド・ゼロ。終戦を告げたのは、1945年8月15日正午、ラジオから流れる昭和天皇の「玉音放送」だった。今聴き直すと、神から人へと転身するその刹那、虚無的な陥穽において発せられた〈言葉=玉音〉が、既に戦後の天皇像の原型にあたるような、「災禍」に寄り添い「建設」への意志を宣言する内容であったことに、改めて驚かされる。最近知ったのだが、その音声は生放送ではなく、終戦前日の8月14日に録音されたものなのだという。記録したメディアは、レコード盤だった。
東京は、皇居の周りをぐるぐると回るレコード(Donut)だ。お堀沿いの楽曲 / 走路(Track)の上を、皇居ランナーが周回している。このまま回り続けたら、いつか東京はバターになって溶けて消えてしまうかもしれない、『ちびくろサンボ』の3匹のトラのように。トラ・トラ・トラ。始まりの合図、終わりの合図。どこからか幽かに金槌の音が聞こえてくる。それは東京を砕く音だろうか、それとも造る音だろうか───?

いずれにしろ、普請の音は鳴り止まない。

堪へ難キヲ堪へ、トカトントン。
忍ビ難キヲ忍ビ、トカトントン。
総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ……トントントカトン、トカトントン。