ライフイズエクストリームティンダー

Main visual

名称:特別講座「現代アートの勝手口」修了展「ライフイズエクストリームティンダー」
会場:美学校 本校
会期:2020年1月26日
参加作家:綾野文麿、井口美尚、나원ナウォン、宇留野圭、栄前田愛香、大沢、小川萌永、オノナツキ、酒井風、林修平
齋藤恵汰、藤城嘘、中島晴矢
撮影:綾野文麿

 

展覧会について

展覧会「ライフイズエクストリームティンダー」をお届けします。本展は、美学校特別講座「現代アートの勝手口」の修了展に位置付けられ、受講生の10名に講師の3名を加えた13名のグループ展となります。講義は2019年10月下旬から12月にかけて全5回という短い期間で行われました。
世界が、不確定要素としての偶然の積層であるとして、おそらく人はそれを「偶然」のまま扱うことが得意ではありません。「ただ単に出会う」という外部性を人はそのままにしておけない。それを処理するひとつの型として運命や名前、あるいは作品と呼ばれるモニュメントが必要とされるのではないか。本展における作家たちの制作は、そんな態度の上に成り立っています。たとえば、宇留野圭の『TR-008』は、宇留野が河原で偶然見つけた犬の頭骨を、機械に組み込んだ作品です。「TR」とは宇留野自身がかつて飼っていた「太郎」という柴犬のことです。「太郎」は散歩中に逃げていってしまったため、宇留野は愛犬の最期を知りません。彼はたまたま見つけたに過ぎないはずの犬の骨に、かつての愛犬の名前をつけることでその死を想像することを試みています。同様に、나원ナウォンは「とある場所」に居合わせた子供たちとジェンガに興じる映像作品を、オノナツキは、あるゲームソフトのタイトルをきっかけに幼い頃の記憶を構造的に召喚する作品を制作しています。彼/彼女たちの作品は、「ただの、単なる」出会いを保存するための、個人的なモニュメントであると言えます。
本展は、(たとえばリクリット・ティラヴァーニャなどの作品がそうであるような)出会いの場を作り出そうとするものではなく、むしろ自閉的にすら見える、ごく個人的なモニュメントが林立している場でしかないのかもしれません。この展覧会のタイトルである「ライフイズエクストリームティンダー」とは、ステイトメントを執筆した酒井風により提案されたものです。「ティンダー」とは彼が利用している同名の「マッチングアプリ」に由来しています。酒井は、「近くにいる人物」のプロフィールを無作為にピックアップしてユーザーに「出会い」を提示するマッチングアプリ(の一部)の性質に、この展覧会を重ねて見ています。敵対も連帯もない、「ただの、単なる」出会いだったものの林立・・・。
最後になりますが、この一日限りの展覧会を皆さんが目撃してくれることを祈っています。

 

ステイトメント

私たちの精神を支配するものとは一体何か。
それは何かがおこる”予感”である。“予感”は存在しないままに人々を歓喜させ、あるときは人々を失望させる。本当の幸せや不幸はそれが実際にやってきた時に本当には訪れない。________________想像力。それがまるで兵器のように人間を振り回すこともある。
それは宇宙のことを考えることや、無限に広がっていくガスやチリ、ミネラルに似ている。そして“出会い”に似ている。

未知のものはそのわからなさ、とりとめのなさによって私たちを不安にする。人生の選択肢、まだ出会ってもいない将来の友人や恋人。それらは具現化しない限り虚構であり、存在しない。マッチングアプリや古来から伝わる占いは、そんな”予感”の膨らみを断ち切るための装置であると言える。それは「決定していない未来を擬似的に見せてくれるもの」だからである。

アルゴリズムや偶然性の力は未知のもの=恐るべきものに「(仮)」の身体を与えるものであると言える。そうして不安によって膨らんだ”予感”を去勢する。

世界には学校の隣に座っていたというきっかけで結婚に至る人や自分の生まれた町から一歩も出ないで生涯を終える人がいる。
そして偶然性と運命を峻別することは非常に難しい。

無限を有限に収束させていくものとしての偶然。そして身体。それこそ私たちの一瞬一瞬に力強い色めきを与えうる。講座の参加者は誰でもよく、代替可能だったかもしれない。しかし今ではそれがとても重要なパーツとして展覧会を駆動する。あなたがここへ来たこと、それが必然か偶然か、その目で確かめてほしい。あなたと私たちは不意にマッチングした永遠の恋人同士なのかもしれない。

酒井風

名称:特別講座「現代アートの勝手口」修了展「ライフイズエクストリームティンダー」
会場:美学校 本校
会期:2020年1月26日
参加作家:綾野文麿、井口美尚、나원ナウォン、宇留野圭、栄前田愛香、大沢、小川萌永、オノナツキ、酒井風、林修平
齋藤恵汰、藤城嘘、中島晴矢
撮影:綾野文麿

 

展覧会について

展覧会「ライフイズエクストリームティンダー」をお届けします。本展は、美学校特別講座「現代アートの勝手口」の修了展に位置付けられ、受講生の10名に講師の3名を加えた13名のグループ展となります。講義は2019年10月下旬から12月にかけて全5回という短い期間で行われました。
世界が、不確定要素としての偶然の積層であるとして、おそらく人はそれを「偶然」のまま扱うことが得意ではありません。「ただ単に出会う」という外部性を人はそのままにしておけない。それを処理するひとつの型として運命や名前、あるいは作品と呼ばれるモニュメントが必要とされるのではないか。本展における作家たちの制作は、そんな態度の上に成り立っています。たとえば、宇留野圭の『TR-008』は、宇留野が河原で偶然見つけた犬の頭骨を、機械に組み込んだ作品です。「TR」とは宇留野自身がかつて飼っていた「太郎」という柴犬のことです。「太郎」は散歩中に逃げていってしまったため、宇留野は愛犬の最期を知りません。彼はたまたま見つけたに過ぎないはずの犬の骨に、かつての愛犬の名前をつけることでその死を想像することを試みています。同様に、나원ナウォンは「とある場所」に居合わせた子供たちとジェンガに興じる映像作品を、オノナツキは、あるゲームソフトのタイトルをきっかけに幼い頃の記憶を構造的に召喚する作品を制作しています。彼/彼女たちの作品は、「ただの、単なる」出会いを保存するための、個人的なモニュメントであると言えます。
本展は、(たとえばリクリット・ティラヴァーニャなどの作品がそうであるような)出会いの場を作り出そうとするものではなく、むしろ自閉的にすら見える、ごく個人的なモニュメントが林立している場でしかないのかもしれません。この展覧会のタイトルである「ライフイズエクストリームティンダー」とは、ステイトメントを執筆した酒井風により提案されたものです。「ティンダー」とは彼が利用している同名の「マッチングアプリ」に由来しています。酒井は、「近くにいる人物」のプロフィールを無作為にピックアップしてユーザーに「出会い」を提示するマッチングアプリ(の一部)の性質に、この展覧会を重ねて見ています。敵対も連帯もない、「ただの、単なる」出会いだったものの林立・・・。
最後になりますが、この一日限りの展覧会を皆さんが目撃してくれることを祈っています。

 

ステイトメント

私たちの精神を支配するものとは一体何か。
それは何かがおこる”予感”である。“予感”は存在しないままに人々を歓喜させ、あるときは人々を失望させる。本当の幸せや不幸はそれが実際にやってきた時に本当には訪れない。________________想像力。それがまるで兵器のように人間を振り回すこともある。
それは宇宙のことを考えることや、無限に広がっていくガスやチリ、ミネラルに似ている。そして“出会い”に似ている。

未知のものはそのわからなさ、とりとめのなさによって私たちを不安にする。人生の選択肢、まだ出会ってもいない将来の友人や恋人。それらは具現化しない限り虚構であり、存在しない。マッチングアプリや古来から伝わる占いは、そんな”予感”の膨らみを断ち切るための装置であると言える。それは「決定していない未来を擬似的に見せてくれるもの」だからである。

アルゴリズムや偶然性の力は未知のもの=恐るべきものに「(仮)」の身体を与えるものであると言える。そうして不安によって膨らんだ”予感”を去勢する。

世界には学校の隣に座っていたというきっかけで結婚に至る人や自分の生まれた町から一歩も出ないで生涯を終える人がいる。
そして偶然性と運命を峻別することは非常に難しい。

無限を有限に収束させていくものとしての偶然。そして身体。それこそ私たちの一瞬一瞬に力強い色めきを与えうる。講座の参加者は誰でもよく、代替可能だったかもしれない。しかし今ではそれがとても重要なパーツとして展覧会を駆動する。あなたがここへ来たこと、それが必然か偶然か、その目で確かめてほしい。あなたと私たちは不意にマッチングした永遠の恋人同士なのかもしれない。

酒井風