《偏奇館バラック》

《偏奇館バラック》

偏奇館バラック
2017|インクジェットプリント、ペンキ|51.5 × 72.8 cm

麻布市兵衛町(現:泉ガーデン)にあった偏奇館は1920年に永井荷風が建てた新居の名である。永井荷風はここから玉の井(墨田区)へと散歩へ出かけていたことが「断腸亭日乗」にも綴られている。1923年に起きた関東大震災では山の手は被害が少なかった一方で下町は大きな被害を受けた。その際、今和次郎らが設立したバラック装飾社は、ダダイズム的な野蛮で過剰な装飾をバラックに施した。もしもバラック装飾社が偏奇館を建てていたら...。泉ガーデン内の偏奇館跡地を背景に山の手と下町の位相が混じり合う。

偏奇館バラック
2017|インクジェットプリント、ペンキ|51.5 × 72.8 cm

麻布市兵衛町(現:泉ガーデン)にあった偏奇館は1920年に永井荷風が建てた新居の名である。永井荷風はここから玉の井(墨田区)へと散歩へ出かけていたことが「断腸亭日乗」にも綴られている。1923年に起きた関東大震災では山の手は被害が少なかった一方で下町は大きな被害を受けた。その際、今和次郎らが設立したバラック装飾社は、ダダイズム的な野蛮で過剰な装飾をバラックに施した。もしもバラック装飾社が偏奇館を建てていたら…。泉ガーデン内の偏奇館跡地を背景に山の手と下町の位相が混じり合う。