渋家トリエンナーレ2010

名称:渋家トリエンナーレ2010
会場:渋家
会期:2010年11月20日〜11月22日
参加作家:石田祐規、打墓丸、堅田好太郎、キュンチョメ、小池将樹、たくや、としくに、中島晴矢、野口雅俊、松原めい、やまだずい、横堀笙子
ディレクター:中島晴矢
撮影:石田祐規
ハンドアウト(PDF)

渋家トリエンナーレ2010
─NO HOUSE NO LIFE ,NO HOUSE NO LIFE─
「渋家」という「悪い場所」

「渋家」は、有象無象が居住する民家であり、フリースペースでもあるという、よくわからない「悪い場所」です。
椹木野衣が『日本・現代・美術』でうちだした概念「悪い場所」とは、「『歴史的問い』それ自体を去勢してしまうような『消極的』な悪循環」であり「閉じられた円環」、「ある非歴史的な『場所』の支配」でした。つまりヘーゲル的に歴史はつみあがらず、クラインの壷的に反復してしまう。
「渋家」もそんな「場所」です。そこでは様々な現象が生起するが、その悉くは積み上がらず、いつのまにか元の木阿弥へと回帰している。出入りする人間は、画家、彫刻家、小説家、ダンサー、漫画家、パフォーマー、写真家、ミュージシャン、評論家…とは名ばかりの総じて「自称芸術家」であり、しかもその実、社会的には、フリーター、大学中退、プー太郎、ホスト、分裂病者、ゲイ、メンヘラー、貧者、キャバ嬢、ヒモ…要するにゴロツキに過ぎません。
しかし、そこにおいて、「悪さ」を自覚的に徹底したときに、「内部」と「外部」が反転し、捻れて、「閉じられた円環」から漏洩するような、名状し難いオルタナティブな「場所」になると、私たちはかんがえます。
「渋家」に住む私たちは、ネット空間と異なり、生身の身体を媒介としたコミュニケーションに絶えず曝されるため、「自由・平等」と共に、確実に「友愛」を育んでおり、また、オタク的な文化を享受しつつも、それのみでは説明できない「ストリート」的リアリティを生きてもいます。これらによって、「渋家」は、異なった意味での「悪い場所」になり得ます。
宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』で、「死」「終わり」を射程に収めることによって、「終わりなき(ゆえに絶望的な)日常」は「終わりある(ゆえに可能性にあふれた)日常」に変化すると言ったように、あるいは、椹木野衣が『反アート入門』で「流動的な生そのもののような芸術」を志向したように、「日本現代美術」における「悪い場所」性は、以下のように読み替えられるのではないでしょうか。
つまり、「悪い(ゆえに絶望的な)場所」から、「悪い(ゆえに可能性にあふれた)場所」へ──。
そして、「渋家」は、後者の意味での「悪い場所」です。
「渋家トリエンナーレ2010」は、「悪い(ゆえに可能性にあふれた)場所」=「渋家」で行う、私たちなりの「LIFE IS ART」の営みなのです。

芸術である、だけど民家である、だから犯罪である

……そんなことを考え、ジャンヌ=クロード&クリストの「ランド・アート」を下敷きに、赤瀬川原平の「宇宙の梱包」といった「日本の前衛」のキッチュに依拠して、そして何より『すごいよ!マサルさん』という「ギャグマンガ」へのオマージュとして、民家である「渋家」に「布をかぶせ」ました。一軒家全体が真っ白い一枚布で覆われた様は、私たちからすればとても美しく、非日常的な雰囲気の中で送る日常生活は、何か心躍るような、非常に素晴らしい経験に思えたものです。
すると、大家さんが来て、強制退去を宣告されました。
かつての美共闘の闘士のようにバリケードを作って「闘争」することもできず、かといって、集団自殺するレミングスのように安易に「逃走」することもできなかった私たちは、「LIFE IS ART」にのっとり、日常の延長線上に位置するものとしての本質的な「逃走」=「引っ越し」を目論みました。彦坂尚嘉の「デリバリー・イヴェント」の、集団発狂バージョンです。そのため、「渋家」の外部ばかりでなく、内部のものもすべて、ダンボールで「梱包」するはめに陥りました。
しかも、引っ越し先が決まらぬままに、夜逃げ同然で家を飛び出したため、「ストリート的リアリティ」を持った「場所」から、「リアル・ストリート」という「(非)場所」へと、容赦なく投げ出されてしまったのです。
「悪い場所(シブハウス)」を喪失し、「ハウス・レス」となった私たちは、ある者はネットカフェ難民やファミレス難民となり、またある者は知人宅への居候となって、ブランキー・ジェット・シティばりに、単なる「悪いひとたち」へと相成りました。
しかし私は、ここであえてバカボンのパパのごとく、「それでいいのだ」と言いたいのです。なぜなら、私たちはもともと、「表現難民」だったのですから。
「布」によって文字通り家の「内部」と「外部」に「実在の境界線」を設定したことで、はからずも浮かび上がってきたのは、なにが芸術でなにが非芸術かという、「不在の境界線」でした。私たちにとっての「芸術」は、大家さんにとっては「非芸術」であり、もっといえば「犯罪」だったのです。
赤瀬川原平の「千円札裁判」にひとつの起源をもち、海外におけるバンクシーのグラフィティーを筆頭としたストリートカルチャー、そして近年のChim↑Pomの「ピカッ」や、果ては篠山紀信の路上ヌード撮影での逮捕にいたるまで、≪表現≫が必然的に孕まざるをえない、「芸術/非芸術」という境界線上で、とにかく、私たちは、なおも表現し続け、生き続けるしかないのです。
今回の「布」が、「芸術」であったか、あるいは「非芸術」であったかは、ひとまずどうでもいいことでしょう。
土壇場で、新天地を恵比寿の一角に見つけることができました。
ここで、「渋家トリエンナーレ2010」を決行します。

中島晴矢

名称:渋家トリエンナーレ2010
会場:渋家
会期:2010年11月20日〜11月22日
参加作家:石田祐規、打墓丸、堅田好太郎、キュンチョメ、小池将樹、たくや、としくに、中島晴矢、野口雅俊、松原めい、やまだずい、横堀笙子
ディレクター:中島晴矢
撮影:石田祐規
ハンドアウト(PDF)

渋家トリエンナーレ2010
─NO HOUSE NO LIFE ,NO HOUSE NO LIFE─
「渋家」という「悪い場所」

「渋家」は、有象無象が居住する民家であり、フリースペースでもあるという、よくわからない「悪い場所」です。
椹木野衣が『日本・現代・美術』でうちだした概念「悪い場所」とは、「『歴史的問い』それ自体を去勢してしまうような『消極的』な悪循環」であり「閉じられた円環」、「ある非歴史的な『場所』の支配」でした。つまりヘーゲル的に歴史はつみあがらず、クラインの壷的に反復してしまう。
「渋家」もそんな「場所」です。そこでは様々な現象が生起するが、その悉くは積み上がらず、いつのまにか元の木阿弥へと回帰している。出入りする人間は、画家、彫刻家、小説家、ダンサー、漫画家、パフォーマー、写真家、ミュージシャン、評論家…とは名ばかりの総じて「自称芸術家」であり、しかもその実、社会的には、フリーター、大学中退、プー太郎、ホスト、分裂病者、ゲイ、メンヘラー、貧者、キャバ嬢、ヒモ…要するにゴロツキに過ぎません。
しかし、そこにおいて、「悪さ」を自覚的に徹底したときに、「内部」と「外部」が反転し、捻れて、「閉じられた円環」から漏洩するような、名状し難いオルタナティブな「場所」になると、私たちはかんがえます。
「渋家」に住む私たちは、ネット空間と異なり、生身の身体を媒介としたコミュニケーションに絶えず曝されるため、「自由・平等」と共に、確実に「友愛」を育んでおり、また、オタク的な文化を享受しつつも、それのみでは説明できない「ストリート」的リアリティを生きてもいます。これらによって、「渋家」は、異なった意味での「悪い場所」になり得ます。
宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』で、「死」「終わり」を射程に収めることによって、「終わりなき(ゆえに絶望的な)日常」は「終わりある(ゆえに可能性にあふれた)日常」に変化すると言ったように、あるいは、椹木野衣が『反アート入門』で「流動的な生そのもののような芸術」を志向したように、「日本現代美術」における「悪い場所」性は、以下のように読み替えられるのではないでしょうか。
つまり、「悪い(ゆえに絶望的な)場所」から、「悪い(ゆえに可能性にあふれた)場所」へ──。
そして、「渋家」は、後者の意味での「悪い場所」です。
「渋家トリエンナーレ2010」は、「悪い(ゆえに可能性にあふれた)場所」=「渋家」で行う、私たちなりの「LIFE IS ART」の営みなのです。

芸術である、だけど民家である、だから犯罪である

……そんなことを考え、ジャンヌ=クロード&クリストの「ランド・アート」を下敷きに、赤瀬川原平の「宇宙の梱包」といった「日本の前衛」のキッチュに依拠して、そして何より『すごいよ!マサルさん』という「ギャグマンガ」へのオマージュとして、民家である「渋家」に「布をかぶせ」ました。一軒家全体が真っ白い一枚布で覆われた様は、私たちからすればとても美しく、非日常的な雰囲気の中で送る日常生活は、何か心躍るような、非常に素晴らしい経験に思えたものです。
すると、大家さんが来て、強制退去を宣告されました。
かつての美共闘の闘士のようにバリケードを作って「闘争」することもできず、かといって、集団自殺するレミングスのように安易に「逃走」することもできなかった私たちは、「LIFE IS ART」にのっとり、日常の延長線上に位置するものとしての本質的な「逃走」=「引っ越し」を目論みました。彦坂尚嘉の「デリバリー・イヴェント」の、集団発狂バージョンです。そのため、「渋家」の外部ばかりでなく、内部のものもすべて、ダンボールで「梱包」するはめに陥りました。
しかも、引っ越し先が決まらぬままに、夜逃げ同然で家を飛び出したため、「ストリート的リアリティ」を持った「場所」から、「リアル・ストリート」という「(非)場所」へと、容赦なく投げ出されてしまったのです。
「悪い場所(シブハウス)」を喪失し、「ハウス・レス」となった私たちは、ある者はネットカフェ難民やファミレス難民となり、またある者は知人宅への居候となって、ブランキー・ジェット・シティばりに、単なる「悪いひとたち」へと相成りました。
しかし私は、ここであえてバカボンのパパのごとく、「それでいいのだ」と言いたいのです。なぜなら、私たちはもともと、「表現難民」だったのですから。
「布」によって文字通り家の「内部」と「外部」に「実在の境界線」を設定したことで、はからずも浮かび上がってきたのは、なにが芸術でなにが非芸術かという、「不在の境界線」でした。私たちにとっての「芸術」は、大家さんにとっては「非芸術」であり、もっといえば「犯罪」だったのです。
赤瀬川原平の「千円札裁判」にひとつの起源をもち、海外におけるバンクシーのグラフィティーを筆頭としたストリートカルチャー、そして近年のChim↑Pomの「ピカッ」や、果ては篠山紀信の路上ヌード撮影での逮捕にいたるまで、≪表現≫が必然的に孕まざるをえない、「芸術/非芸術」という境界線上で、とにかく、私たちは、なおも表現し続け、生き続けるしかないのです。
今回の「布」が、「芸術」であったか、あるいは「非芸術」であったかは、ひとまずどうでもいいことでしょう。
土壇場で、新天地を恵比寿の一角に見つけることができました。
ここで、「渋家トリエンナーレ2010」を決行します。

中島晴矢