《マスターベーション曼陀羅》

《マスターベーション曼陀羅》

マスターベーション曼陀羅
2009|LKカラー、油性ペン、模擬の携帯電話、アクリル絵具|840 × 1190 mm × 4

この作品を作った最も強いモチベーションは、自身の性的なものにある。つまり、性欲の解消、即マスターベーションという後ろ暗さ、さらにそれが 「携帯電話」という無機物を媒介にして為されることのむなしさ。この絶望的な気分を作品化した。そもそも、性欲(処理 )とは、非常に人間的で、 生身の身体性をベースとした最も接触的・直接的なものであるはずである。しかし、現実のわれわれ世代のそれは基本的に、紙媒体やマス・メディアどころでなく、ディスプレイを通して絶えず無制限に垂れ流されてくる断片的イメージの総体を相手にして行われる。つまりポルノグラフィにおいては、動物的な身体性とヴァーチャルな脱身体性が、無媒介に共存している。ここには身体とメディア(媒体)の奇妙な相互関係がある。この個人的かつ現代的な「サンプル動画的な世界観」を、私はペンで細密画的に描くことで表した。身体、殊に裸体や性器といった性的モティーフを執拗に繰り返し反復することで、部分の集積から全体をつくったのである。この、細部の具象的なものの集積で大画面を描き切ることによって、全体として、何か抽象的な、オールオーヴァーな画面に至る、という方法から、「曼陀羅」と同様のものを感じ、タイトルを《マスターベーション曼陀羅》とした。また、絵画平面に加えて、 ディスプレイ画面に女性を描いた十数個の携帯電話も構図的に配置されている。ここにはむろん、携帯電話=性処理の道具という、悲劇的な自動連想が込められている。とにかく、端的にむき出しで、過剰に流動的で、携帯電話のディスプレイサイズの世界 が遍在する現代のありようと、非常に私的な身体性の感覚とのあいだの齟齬、ギャップを描こうとした。

マスターベーション曼陀羅
2009|LKカラー、油性ペン、模擬の携帯電話、アクリル絵具|840 × 1190 mm × 4

この作品を作った最も強いモチベーションは、自身の性的なものにある。つまり、性欲の解消、即マスターベーションという後ろ暗さ、さらにそれが 「携帯電話」という無機物を媒介にして為されることのむなしさ。この絶望的な気分を作品化した。そもそも、性欲(処理 )とは、非常に人間的で、 生身の身体性をベースとした最も接触的・直接的なものであるはずである。しかし、現実のわれわれ世代のそれは基本的に、紙媒体やマス・メディアどころでなく、ディスプレイを通して絶えず無制限に垂れ流されてくる断片的イメージの総体を相手にして行われる。つまりポルノグラフィにおいては、動物的な身体性とヴァーチャルな脱身体性が、無媒介に共存している。ここには身体とメディア(媒体)の奇妙な相互関係がある。この個人的かつ現代的な「サンプル動画的な世界観」を、私はペンで細密画的に描くことで表した。身体、殊に裸体や性器といった性的モティーフを執拗に繰り返し反復することで、部分の集積から全体をつくったのである。この、細部の具象的なものの集積で大画面を描き切ることによって、全体として、何か抽象的な、オールオーヴァーな画面に至る、という方法から、「曼陀羅」と同様のものを感じ、タイトルを《マスターベーション曼陀羅》とした。また、絵画平面に加えて、 ディスプレイ画面に女性を描いた十数個の携帯電話も構図的に配置されている。ここにはむろん、携帯電話=性処理の道具という、悲劇的な自動連想が込められている。とにかく、端的にむき出しで、過剰に流動的で、携帯電話のディスプレイサイズの世界 が遍在する現代のありようと、非常に私的な身体性の感覚とのあいだの齟齬、ギャップを描こうとした。