Talk event

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Talk event「左右レボリューション21」
登壇:鈴木邦男(作家・政治活動家) × 内海信彦(画家) 司会・中島晴矢

「室内写生」展の一環として私がコーディネートしたのが、「左右レボリューション21」というイベントです。画家・内海信彦氏と、一水会顧問であり言論人の鈴木邦男氏のトークを中心としました。 プログラムは、内海氏のライブ・ペインティングを素材とした映像の上映と、サックス奏者・内田輝氏による演奏があり、それから私のパフォーマンスを経て、トークセッションという流れです。基本的にはトークを中心に、音楽・映像・ハプニングなど含めて総合的にデザインしました。
トーク「左右レボリューション21」は、かつて新左翼的活動に従事していた内海氏と、新右翼として活動している鈴木氏の、双方向からの政治的・芸術的言説を、私を含めた若い人間が聞ける機会をつくることを目的としました。戦後から70年代にかけての政治と芸術のあり方を、二人の個人史を交えつつ、当事者的視点で語ってほしかったのです。なぜなら、68年を軸とする時代のリアリティを、われわれ世代は教科書的にしか知らないからです。だから生の肉声で語って欲しかった。
そもそも全共闘運動やアヴァンギャルドといった60年代的現象は、いまだに現代の日本の表現を規定しています。当時のアーティストたちが何を思ってあらゆるものを「破壊」しようとしたのか不明瞭なままでは、私たちがいかに「刺激的」で「革新的」なことを行っても、かつての劣化版にしかなりえないと思ったのです。また、現代は政治性が毛嫌いされる時代です。70年代以降の政治運動の過激化、極端化が、その後の政治嫌悪をもたらしました。しかし昨今、無数の政治的困難に日本が直面する中で、非政治的な振る舞いを気取っている場合ではなくなってきました。というよりも、政治的無関心は少しも非政治的ではなく、むしろより政治的です。なぜならそれは安易なポピュリズムや党派性への加担に結びつき、社会の現状を全く変革せず、逆に悪化させるおそれがあるからです。ただし、それならば反体制運動に加入したりすればいいのかと言えば、そうでもない。政治的なるものへのベタで直接的なコミットメントの非有効性は、赤軍派からオウムに至る惨憺たる歴史が逆説的に証明しています。だからこそ、慎重な回路を経て政治性を取り扱わねばならない。そういった私の意志は、たとえばタイトル「左右レボリューション21」にこめられています。言うまでもなくアイドルグループ・モーニング娘。の曲名「ラブレボリューション21」をパロディにしたそれは、もはや私たち世代の現実認識において、政治的なるものよりポップ・カルチャーの方が、ずっとリアリティを持った共通前提として機能することを念頭に置いています。このように政治性を、繊細な手つきで扱いつつ、同時に真摯に向き合うこと。これが、「ネット右翼」でも「ロス・ジェネ」でもなく、私(たち)にできる最良の態度ではないか、と考えたのです。
トークの内容は、三島由紀夫の話からはじまり、磯部浅一や北一輝へ飛び、60年代アヴァンギャルド、学生運動、天皇制へと至り、最終的に戦争画を巡る問題へとシフトしていきました。殊に、戦後美術の根幹に、藤田嗣治の《アッツ島玉砕》などの戦争画に対する、隠しても隠しきれない、悔恨や苦悩といった感情がある、という議論は、戦前から戦後、そして現代へと連なる、日本の戦後美術の連続性を捉えなおすものとなりました。
結果的に論者二人の経験に依拠した切実で濃密な言葉は、イベントという場の共有を通じて、世代を超えて響いたのではないかと思います。

Talk event「左右レボリューション21」
登壇:鈴木邦男(作家・政治活動家) × 内海信彦(画家) 司会・中島晴矢

「室内写生」展の一環として私がコーディネートしたのが、「左右レボリューション21」というイベントです。画家・内海信彦氏と、一水会顧問であり言論人の鈴木邦男氏のトークを中心としました。 プログラムは、内海氏のライブ・ペインティングを素材とした映像の上映と、サックス奏者・内田輝氏による演奏があり、それから私のパフォーマンスを経て、トークセッションという流れです。基本的にはトークを中心に、音楽・映像・ハプニングなど含めて総合的にデザインしました。
トーク「左右レボリューション21」は、かつて新左翼的活動に従事していた内海氏と、新右翼として活動している鈴木氏の、双方向からの政治的・芸術的言説を、私を含めた若い人間が聞ける機会をつくることを目的としました。戦後から70年代にかけての政治と芸術のあり方を、二人の個人史を交えつつ、当事者的視点で語ってほしかったのです。なぜなら、68年を軸とする時代のリアリティを、われわれ世代は教科書的にしか知らないからです。だから生の肉声で語って欲しかった。
そもそも全共闘運動やアヴァンギャルドといった60年代的現象は、いまだに現代の日本の表現を規定しています。当時のアーティストたちが何を思ってあらゆるものを「破壊」しようとしたのか不明瞭なままでは、私たちがいかに「刺激的」で「革新的」なことを行っても、かつての劣化版にしかなりえないと思ったのです。また、現代は政治性が毛嫌いされる時代です。70年代以降の政治運動の過激化、極端化が、その後の政治嫌悪をもたらしました。しかし昨今、無数の政治的困難に日本が直面する中で、非政治的な振る舞いを気取っている場合ではなくなってきました。というよりも、政治的無関心は少しも非政治的ではなく、むしろより政治的です。なぜならそれは安易なポピュリズムや党派性への加担に結びつき、社会の現状を全く変革せず、逆に悪化させるおそれがあるからです。ただし、それならば反体制運動に加入したりすればいいのかと言えば、そうでもない。政治的なるものへのベタで直接的なコミットメントの非有効性は、赤軍派からオウムに至る惨憺たる歴史が逆説的に証明しています。だからこそ、慎重な回路を経て政治性を取り扱わねばならない。そういった私の意志は、たとえばタイトル「左右レボリューション21」にこめられています。言うまでもなくアイドルグループ・モーニング娘。の曲名「ラブレボリューション21」をパロディにしたそれは、もはや私たち世代の現実認識において、政治的なるものよりポップ・カルチャーの方が、ずっとリアリティを持った共通前提として機能することを念頭に置いています。このように政治性を、繊細な手つきで扱いつつ、同時に真摯に向き合うこと。これが、「ネット右翼」でも「ロス・ジェネ」でもなく、私(たち)にできる最良の態度ではないか、と考えたのです。
トークの内容は、三島由紀夫の話からはじまり、磯部浅一や北一輝へ飛び、60年代アヴァンギャルド、学生運動、天皇制へと至り、最終的に戦争画を巡る問題へとシフトしていきました。殊に、戦後美術の根幹に、藤田嗣治の《アッツ島玉砕》などの戦争画に対する、隠しても隠しきれない、悔恨や苦悩といった感情がある、という議論は、戦前から戦後、そして現代へと連なる、日本の戦後美術の連続性を捉えなおすものとなりました。
結果的に論者二人の経験に依拠した切実で濃密な言葉は、イベントという場の共有を通じて、世代を超えて響いたのではないかと思います。