ペネローペの境界

Main visual

名称:中島晴矢個展「ペネローペの境界」
会場:TAV GALLERY(東京)
会期:2015年6月26日〜7月12日
インタビュー:「ポスト3.11時代の美術家・中島晴矢に個展の意気込みを訊く(美術手帖)
ハンドアウト(PDF)

ペネローペの境界

この展示は古代ギリシャの叙事詩『オデュッセイア』(ホメロス)の物語を基底材としています。特に、夫であるオデュッセウスの帰郷を待ち続ける妻・ペネローペを主柱に据えました。
ペネローペは、トロイア戦争へ行ってしまった夫をイタケー島の城で待ち続けます。しかし、生死も定かでないオデュッセウスに代わって王の地位を奪おうと、周辺から無礼な求婚者たちが押し寄せてくる。そこで貞淑な彼女は、父のための織布を織り上げたら求婚者のうちの誰か一人と結婚すると宣言した上で、日中に生地を織り、夜中にそれをほどくという作業をくり返し続ける——これが「ペネローペの織物」というエピソードです。
この"織ってはほどかれるペネローペの織物”は、境界を引き、あるいはほどいて、絶えず境界線を刷新し続ける現代世界の象徴として機能しないでしょうか。 たとえば、フクシマの問題があります。4年前を境にニッポンの風景は一変しました。それは地震と津波という、大地と海の境界の侵犯によって起こされ、また原発事故による放射性物質の飛散は、人の住める区域と住めない区域の境界を、今でもなお生み出し続けています。
私は今年に入って、人々が震災を忘却しつつあるなか、初めて被災地を訪問しました。そこでは除染作業が進む代わりに、禍々しく黒い大量のフレコンバックが山のように積み上げられていた。果たしてこれを復興と呼べるのだろうか…? そんな疑問を抱えながら、富岡町を中心に五度に渡って福島を訪れました。そこで見聞きし、思考した事柄を、(非当事者性やスペクタクル化に躊躇しながらも)映像や写真に収め、作品にしています。
あるいは、国境という境界線もあります。それらは日々引かれ直され、拮抗し、ぶつかり合い、更新されている。地理的な境界のみならず、グローバル化を背景に、それは主義や宗教、メディアやインターネットを介した次元でもそうです。たとえば、展示をつくっている最中に起きた、シャルリ・エブド事件やイスラム国の一連のテロリズムをとってみても自明でしょう。ISによるカリフ制の宣言や、イラクからシリアにまたがる占拠地域は、西洋近代がつくった国境線や国家の枠組みの正統性を、明らかに問い質しています。つまり、ヨーロッパ近代が相対化され、民族や主義や宗派といった各々の普遍主義を掲げた闘争、テロや紛争が至る所で頻発している状況こそが、現代世界なのではないでしょうか。これらを踏まえて私は、アルテ・ポーヴェラの作家アリギエロ・ボエッティの《MAPPA》を下敷きに、国旗のシリーズを制作しました。
そもそも芸術とは、「ペネローペの織物」のようなものではないでしょうか。旧来の美を否定し、新しい美学を提示する、そしてそれもまたすぐに新しい価値によって刷新されるというダイナミズムこそが、アートの総体なのです。
斯様に現代は、多様なレヴェルで境界線が引かれ、ほどかれ、また引き直され…という永久運動にさらされています。その上で、様々に偏在する「ペネローペの境界」を多元的に提示する——それが本個展のテーマです。


中島晴矢

名称:中島晴矢個展「ペネローペの境界」
会場:TAV GALLERY(東京)
会期:2015年6月26日〜7月12日
インタビュー:「ポスト3.11時代の美術家・中島晴矢に個展の意気込みを訊く(美術手帖)
ハンドアウト(PDF)

ペネローペの境界

この展示は古代ギリシャの叙事詩『オデュッセイア』(ホメロス)の物語を基底材としています。特に、夫であるオデュッセウスの帰郷を待ち続ける妻・ペネローペを主柱に据えました。
ペネローペは、トロイア戦争へ行ってしまった夫をイタケー島の城で待ち続けます。しかし、生死も定かでないオデュッセウスに代わって王の地位を奪おうと、周辺から無礼な求婚者たちが押し寄せてくる。そこで貞淑な彼女は、父のための織布を織り上げたら求婚者のうちの誰か一人と結婚すると宣言した上で、日中に生地を織り、夜中にそれをほどくという作業をくり返し続ける——これが「ペネローペの織物」というエピソードです。
この”織ってはほどかれるペネローペの織物”は、境界を引き、あるいはほどいて、絶えず境界線を刷新し続ける現代世界の象徴として機能しないでしょうか。
たとえば、フクシマの問題があります。4年前を境にニッポンの風景は一変しました。それは地震と津波という、大地と海の境界の侵犯によって起こされ、また原発事故による放射性物質の飛散は、人の住める区域と住めない区域の境界を、今でもなお生み出し続けています。
私は今年に入って、人々が震災を忘却しつつあるなか、初めて被災地を訪問しました。そこでは除染作業が進む代わりに、禍々しく黒い大量のフレコンバックが山のように積み上げられていた。果たしてこれを復興と呼べるのだろうか…? そんな疑問を抱えながら、富岡町を中心に五度に渡って福島を訪れました。そこで見聞きし、思考した事柄を、(非当事者性やスペクタクル化に躊躇しながらも)映像や写真に収め、作品にしています。
あるいは、国境という境界線もあります。それらは日々引かれ直され、拮抗し、ぶつかり合い、更新されている。地理的な境界のみならず、グローバル化を背景に、それは主義や宗教、メディアやインターネットを介した次元でもそうです。たとえば、展示をつくっている最中に起きた、シャルリ・エブド事件やイスラム国の一連のテロリズムをとってみても自明でしょう。ISによるカリフ制の宣言や、イラクからシリアにまたがる占拠地域は、西洋近代がつくった国境線や国家の枠組みの正統性を、明らかに問い質しています。つまり、ヨーロッパ近代が相対化され、民族や主義や宗派といった各々の普遍主義を掲げた闘争、テロや紛争が至る所で頻発している状況こそが、現代世界なのではないでしょうか。これらを踏まえて私は、アルテ・ポーヴェラの作家アリギエロ・ボエッティの《MAPPA》を下敷きに、国旗のシリーズを制作しました。
そもそも芸術とは、「ペネローペの織物」のようなものではないでしょうか。旧来の美を否定し、新しい美学を提示する、そしてそれもまたすぐに新しい価値によって刷新されるというダイナミズムこそが、アートの総体なのです。
斯様に現代は、多様なレヴェルで境界線が引かれ、ほどかれ、また引き直され…という永久運動にさらされています。その上で、様々に偏在する「ペネローペの境界」を多元的に提示する——それが本個展のテーマです。

中島晴矢